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厳しすぎる? 交通広告のデザイン審査が守る「信頼」という価値

交通広告の厳しすぎる審査

駅構内を歩いていると、壁一面に掲げられたポスターやデジタルサイネージが目に入る。通勤通学で毎日同じ場所を通る人にとっては見慣れた光景であるが、やはりそのスケール感には度々圧倒されるものである。

交通広告──鉄道やバス、地下鉄などの公共交通機関に掲出される広告は、いまも企業にとって重要なブランド発信の場だ。これだけのネット社会に移り変わってもなお、その訴求力と発信力は広告主にとってなくてはならない存在であることは間違いない。

しかしその裏側では、「審査が厳しすぎる」という声が少なくない。

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たとえば、ある企業が新商品のキャンペーン広告を出そうとしたところ、コピーの表現が「誤解を招く可能性がある」として修正を求められた。色合いが他社の広告と似ていると指摘されることや、デザインに使われた人物の表情が「攻撃的」と判断されることもある。このようなケースは珍しいことではなく、交通広告の世界ではしばしば見られる。「ここまで厳しく精査する必要があるのか」と、広告主が頭を抱えるケースはもっぱら珍しいことではないのだ。交通広告の広告審査では、鉄道会社や広告代理店、媒体社が一体となって内容を確認する。公共空間に掲出される以上、誤解や不快感を与える要素を極力排除することが求められるのだ。だが、この慎重さはときにスピード感を求める広告主にとって“足かせ”にもなり得る。特にオンラインとの相乗効果を想定する場合や、SNSでの話題拡散を狙うプロモーションにおいては、スピードこそが命。交通広告の審査を待つ間に、オンラインではすでにトレンドが移り変わっている。そんなもどかしさを感じる担当者も多いだろう。

「無審査の罠」

その一方で、ネット広告の世界はまったく異なる様相を見せている。

クリック課金型のPPC広告やSNS広告などは、ほとんどの場合、システムが自動で審査を行う。AIによるスクリーニングは高速だが、内容の正確性や倫理性を完全に担保できるわけではない。つまり、審査はあくまでもおおまかなふるいであって、精査をされるという言葉が適切なほど仰々しいものではないのだ。

その結果として、虚偽や誇張を含む広告、いわゆる過大広告、あるいは悪質な詐欺広告が大量に出回ってしまうことが近年ではニュースになるほどの問題をはらんでいる。

「ワンクリックで高収入」「たった3日で−10kg」「有名企業が推奨」「○○監修で実証済」──こうした言葉に惹かれて広告をクリックしてしまうと、実態のない投資サイトや個人情報を抜き取る偽サービスに誘導されるようなケースも多く報告されている。また2024年には、SNS上の広告から偽通販サイトに誘導され、消費者が被害に遭う事例が相次いだ。しかもこれらの広告は、AIのアルゴリズムによってターゲティングされ、興味を持ちそうなユーザーの目に効率的に届くように設定されていたのだ。つまり、被害者は「狙われて」いるのだ。

もちろんこれは一面的な対比ではあるが、この点において交通広告の世界であれば、こうした虚偽や詐欺的表現は審査段階で確実に排除される。なぜなら、その広告が掲出されるのは「公共の場」であり、鉄道会社や自治体といった“信用”を背負う存在が関わっているからだ。審査の厳しさは、まさにその信用を守る防波堤でもあるのだ。

信頼がブランドを支える、交通広告という「安全な舞台」

もちろん、広告主からすれば、審査が厳しいのは面倒でありコストもかかる。だが視点を変えれば、その厳しさこそが交通広告の価値を支えていると言えるのではなかろうか。

駅の構内や電車内で見かけるポスター広告には、見る人が「これは信頼できる企業の広告だ」と感じる無意識の安心感がある。それは単にデザインが整っているからではなく、背後に「厳正な審査」というプロセスが存在するからだ。

この信頼性は、広告主にとって大きな武器となる。ユーザーが詐欺広告や誇張広告に疲弊している今こそ、「ちゃんとした場所で」「ちゃんとした形で」ブランドを見せることが重要になっている。

交通広告は、誠実に情報を伝えたい企業にとって最適なメディアのひとつだと言えるだろう。確かに、広告審査を通過するためにはいくつもの工数を積み上げる必要がある。だがそのハードルの高さがあるからこそ、広告の質が保たれ、それに比例するようにユーザーの信頼が日々大きくなっていくのだ。交通広告の厳しい審査は、単なる“制約”ではなく、安心を保証する“仕組み”でもあるのだ。

ネット広告のスピードと自由、そして交通広告の慎重さと信頼性。

その両者が共存する広告環境こそが、これからの時代にふさわしい姿なのかもしれない。

交通広告の審査が厳しいのは、「誰かを不自由にするため」ではなく、「誰もが安心して広告に触れられる社会を守るため」なのだ。

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